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     真正保守の為の「小林秀雄」講座

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投稿者 スレッド
河内屋蒼湖堂
投稿日時: 2008-9-14 1:28
登録日: 2005-8-5
居住地:
投稿: 2617
No.139017:Re:「歴史の真髄」は表象的史実にあり(壱)

sakamotoさん

こんばんは


『駄目な物書きに「お前さん駄目だ」なんて幾ら云つても駄目なんだ。駄目な奴を自然に無視出來るやうになるのが一番いいのぢやないか・・・・』

隨分と昔に讀んだものですが、確かに小林秀雄の言葉であつたと記憶します。

實際、それ以後の小林は駄目な物書きに「お前さん駄目だ」なぞと云はなくなつたやうに思ひます。飽くまでも推測ですが、此の言葉をものした後の彼は、駄目な物書きの文章は讀まなくなつたのでは無いでせうか。
だからこそ、あの箸にも棒にも掛からぬ駄目作家の代表選手、大江健三郎にも意外な程に寛容であつたのかも知れません。

小林秀雄と我が身を同列に置く譯では決してありませんし、先に擧げた彼の言葉をネット掲示板に敷衍するにはかなりの無理があるでせうけれど、少しばかり考へてみることにしませうか。


しがない田舍建築屋の親父、しかも凡人中の凡人である私は、一生涯かけても冒頭に掲げた小林の境地に達することは出來さうもありません。

パソコン通信の時代から約十五年もの間、せつせと駄目投稿を讀み、それらに對し自らも駄文を連ねては、飽きもせず懲りもせず指摘と反論を續けて來ました。

我國の現代史に關する妄言(捏造と意圖的擦り替へ)の類ひは無數にあります。

南京事件を始めとする日支事變や大東亞戰爭に關するもの
いはゆる從軍慰安婦問題
朝鮮統治に關する問題
靖國神社に纏はるもの・・・・

何方も中・韓・朝の特亞三國と(動機は不明ですが)彼らを擁護する『反日日本人』が我國を貶しめる爲の常套手段でした。

「そんな詰らぬものに關る必要はない。打つちやつて置けば自然に立ち枯れる。」

此の考へ方を必ずしも否定するものではありませんが、《長らく打つちやつて置いた結果》が、現今の日本を形作つて仕舞つたのだと私は思ひます。
それゆゑ、”飽きもせず懲りもせず愚論への指摘と反論を續けて”來ました。


さて、
先に擧げた妄言の殆どは、此の數年間のうちに論破され驅逐されました。
その手法は飽くまで”實證的”なものであり、私もまた同じ手法を用ひてきました。

では、何ゆゑ”實證的手法”よつて論破されてきたのか、私もまた何故その手法を用ひたのか・・・

理由は至つて單純で、彼ら(特亞三國・反日日本人)と彼らに惑はされ續けて來た多くの日本人には、それしか通用しないからです。


小林秀雄は江藤淳との対談、「歴史について」でこう言っている。

*宣長のまちがいを正したら宣長でなくなってしまう。宣長は大へん偉かったから間違った、そういうふうに見ればいいんだ。じゃ、どう偉かったからああなったのか、ということが僕にうまく書ければあの人は間違わなかったことになるんだ。それが生きた歴史だ*と。

恐縮ながら
ことはさほどに高尚でも高邁でも無く、特亞三國と彼らに與する反日日本人たちの言説や思想もまた、そのやうな域に達するものではありません。

その遙か數萬光年も手前
謂はば「日本人として持つべき常識と矜持」
否、洋の東西を問はず「人間として持つべき常識と最低限の矜持」に屬するものであり、彼らにはそれが全く理解出來ない、通用しないと云ふこと・・・・

そもそも彼らの數多の言説が「爲にする捏造と意圖的擦り替へにしか過ぎなかつたからである」が私の所論です。

《此の稿續きます》
河内屋蒼湖堂
投稿日時: 2008-9-14 1:52
登録日: 2005-8-5
居住地:
投稿: 2617
No.139019:Re:「歴史の真髄」は表象的史実にあり(弐)
《承前》

先に述べた「人間としての最低限の矜持」を、私はシェイクスピアの『ハムレット』の一節に見出します。

有名な獨白に「第四獨白」と言はれるものがあります。

デンマークから英國に送られるハムレットが「何の利益も上がらぬ小つぽけな土地を争ひに」大軍を率ゐて行進するフォーティンブラスの軍を見て、自分の不甲斐なさに自己を叱咤する科白がそれです。

少し長くなりますが、引用してみませう。

「あの兵士達を見ろ。あの兵力、膨大な費用。それを率ゐる王子の水ぎはだつた若々しさ。穢れのない野望に胸をふくらませ、歯を食ひしばつて未知の世界に飛びこんで行き、頼りない命を、みづから死と危険にさらす。

それも、卵の殻ほどのくだらぬことに・・・・・いや、立派な行為といふのは、もちろん、それだけの立派な理由がなければならぬはずだが、一身の面目にかかはるとなれば、たとへ藁しべ一本のためにも、あへて武器をとつて立つてこそ、眞に立派と言へよう。
さういふおれはどうだ?
(中略)
恥を知れ、あれが見えないのか。二萬のつはものが、幻同然の名誉のために、まるで自分のねぐらにでも急ぐやうに、墓場に向つて行進をつづけてゐる。

その、やつらのねらふ小つぽけな土地は、あれだけの大軍を動かす余地もあるまい。戦死者を埋める墓地にもなるまい。ああ、今からは、どんな残忍なことでも恐れぬぞ。
それが出来ぬくらゐなら、どうともなれ!」
(第三幕四場より)


すべてはハムレットの心情、科白に盡きると考へます。

此の心情、此の科白の持つ意味を瞬時に理解出來ない者には、たとひ百萬言を用ひるとも『人間としての常識と最低限の矜持』を求めることは出來ないでせう。

日清、日露、そして大東亞の戰に趨いた、偉大な先人たちの心は理解出來ないでせう。

一身の面目にかかはるとなれば(己の信ずる正義のためには)「たとへ藁しべ一本のためにもあへて武器をとつて立つ」それが人間の榮光であり悲慘です。

早稻田大學の臼井善隆氏によれば、嘗て灣岸戰爭の折、イギリス國教會のカンタベリー大司教は信徒にかう説教したと云ひます。

我々は皆平和を望む。けれども平和と正義とを切り離して考へては斷じてならない。
人間は自らの缺點ゆゑに、或いは邪惡ゆゑに戰爭をやつたけれども、同時に徳ゆゑに、我々の正義感、善と惡との存在を信じ、善と惡とを辨別する能力、他の人々のために進んで自らを犠牲にしようとする氣持ゆゑに、戰爭をやつたのである。
それが歴史の嚴しい現實である。
(「エリオット評論選集」、早稻田大學出版部)

これを單に「參戰を是とする精神的道徳的免罪符に過ぎない」と片付けて仕舞ふか、
さうではなく『人間としての常識と最低限の矜持』を求める聲と聞けるかの差であると私は考へます。

《此の稿續きます》
河内屋蒼湖堂
投稿日時: 2008-9-14 1:47
登録日: 2005-8-5
居住地:
投稿: 2617
No.139021:Re:「歴史の真髄」は表象的史実にあり(参)
《承前》

失禮、
少し脱線致しました。

ここで明治以降の我國の戰史、就中、大東亞戰爭に話を戻しませう。

※戦史に疎い私があまり偉そうな事を言うことは控えるが、例えば帝国海軍の南雲さんや栗田さんがどういう行動をとったかということをつぶさに検証する歴史実証主義も確かに大事なことではある。しかし、それだけでは何か他の大事なものが抜け落ちているのではないだろうか。

概ね同意致します。
貴兄が議論の對手なら多くの言葉は要しません。
いいえ、抑も議論になぞならないでせう。
一杯の酒と何本かの煙草・・・それだけで充分であると思ひます。


然し、日本人では無い者、根つから日本人の心を持たぬ者を對手とする時、さうは行きません。なにしろ、彼らには元々「日本人としての根源的な大事なもの」がすつぽりと拔け落ちてゐるのですから。

爲にする『捏造と意圖的擦り替へ』を行ふ者には、先づ敵の土俵である”實證主義”で對峙し、事實で論破し、徹底的に粉碎するしか無いでせう。
それは、眞の敵は眼前ではなく議論を見守る觀衆の心の中にこそある、と私自身が感ずるからなのかも知れません。

======================================================================
※これは、謙虚さを喪った戦後日本人の見本というべきではないのか。
無智と傲岸が祖国の歴史を裁いている。いうならば、“無惨”のひとことである。
======================================================================

一年數ヵ月前のお師匠樣の言葉を噛み締めつつ

『駄目な投稿に「お前さん駄目だ」なんて幾ら云つても駄目なんだ。駄目な奴を自然に無視出來るやうになるのが一番いいのぢやないか・・・・』
と呟きつつも

十年經つても、やはり今と同じに(自身も心の底で輕蔑する)實證的手法で”モグラ叩き”を續けてゐるのでせうね、きつと。


大和男子と生まれなば・・・・・まあ、それも宜しいのでないかと思ひます。

おやすみなさい。

(了)
sakamoto
投稿日時: 2008-9-14 19:33
登録日: 2006-3-19
居住地:
投稿: 2540
No.139074:Re:「歴史の真髄」は表象的史実にあり(参)

河内屋蒼湖堂さん

※平成日本列島同様、立ち枯れかけながらもかろうじて存続している弊スレへの御寄稿に感謝いたします(笑)。

>然し、日本人では無い者、根つから日本人の心を持たぬ者を對手とする時、さうは行きません。なにしろ、彼らには元々「日本人としての根源的な大事なもの」がすつぽりと拔け落ちてゐるのですから。爲にする『捏造と意圖的擦り替へ』を行ふ者には、先づ敵の土俵である”實證主義”で對峙し、事實で論破し、徹底的に粉碎するしか無いでせう。<


※ごもっともです。オプティミストである貴兄と、その対極であるペシミストの私(これは私自身を、あるいは今日の日本社会をどこかでからかっているという意味ですが)とが、こうして掲示板でやり取りすることにさして違和感を感じないのも、やはりこの国の歴史に対する愛情、もしくは畏怖心の持ち方に何がしかの「共通する観念」があるからでしょう。

話題を突如変えて申し訳ないのですが、少し前になりますが、本掲示板上で「ファシズム」についてどなた様(鏑矢翁さんでしたか)かと少々やり取りさせて頂いたことがありました。

このような事を言うと、大兄に大目玉を食らうかも知れませんが、先の戦争観に限らず、戦後日本人のあらゆる価値観や物事の考え方の趨勢が価値相対主義となり、物事の真善美の価値基準が「何でもあり」的な考え方となっている戦後日本よりは、良かれ悪しかれ自国民の「共有する感情」(歴史観にせよ、政治の方向性にせよ)、が一つにかつ強力に「ファッショ」(束ねる)されているプーチンロシアや、金体制の北朝鮮のほうが、例えそれが民衆に対する過剰な規制にみるような独裁体制であったとしても、それらを除き後に残ったごく一部の良質な部分に限って言うなら、わが日本よりはるかにまともなのではないかと私などは心密かに思ってしまうのです。

これは勿論、ロシアの再軍事大国化や、拉致問題にみる北朝鮮のならず者ぶりを容認する発言ではないということをご理解頂けるであろう貴兄だからこそ思い切って言えることでして、思想も何もない思考回路一直線の方にうっかりこのようなことを言うなら即座に、「お前はファシズムを容認する全体主義者か」とか、「自由・民主主義の否定者だ」というような返事しか返ってこないでしょうからね。そうした方には「ごく一部の良質な部分に限り」というような「限定」など「目に入らない」でしょうから危なっかしくていけません(笑)。

「愛国の形式」にしたって、「悪いのは自分たち以外の者である」といったようなアメリカ共和主義的な愛国であり、核武装や徴兵制も満足に論じられないようなおのれらの劣性の民主主義を懐疑することもなく、また思想的に批判することもなく自国のそうした不甲斐なさは棚に上げ、「俺たちは常に正しい、悪党はシナや朝鮮だ」とばかり言い募る戦後民主主義的保守(市民主義にナショナリズムを接ぎ木したような奇形のナショナリズム)ばかりです。

大東亜戦争観にしましても、その部分的、局面的評価には色々と納得いかないご意見もあるしょうが、結果が悪ければその作戦を立案したものは無能であるなどという実用主義は、吉田松陰の言った、「かくすればかくなるものの知りながら止むに止まれぬ大和魂」の思想とはもっともかけ離れたものであり、帝国陸海軍の負の部分のみを不必要に論い、自国の総体的歴史観を同じ観方で「ファッショ」できないような烏合の衆的劣等国民が、果たして自虐史観から逃れることなどできるのか、そんな事で「共有する歴史物語」を未来に継承させていけるのかという事です。私の基本スタンスは、現代人の「裸の理性(歴史に基礎付けられない今日的な価値観によるあらゆる判断)」に対しては徹底的に批判し、それが少々危なっかしいものであったとしてもどうにかこうにかこの国の歴史を紆余曲折しながらも今日に繋いできたくれた先人に対しては最大の敬意を払うべきではないのかというだけでしてそこら辺は河内屋さんと共有する感情であって、その一方、「裸の理性」だけで市民主義的な反体制、反官僚を気取りる「あの御仁」との決定的な違いでしょう。
鏑矢翁
投稿日時: 2008-9-14 23:46
登録日: 2005-8-5
居住地:
投稿: 1569
No.139088:Re:「歴史の真髄」は表象的史実にあり(参)
sakamotoさん
こんばんは。

小生の名前が出たところで、ちょこっとおじゃましますね。
私も、貴兄の書き込みには賛同するところが多々あります。

皇紀2668年ということを、当たり前のこととし、それに根ざして論を展開されているところです。

ご承知のように、私は今現在ネットで、当たり前のように使われている言葉に疑問を持っている者です。

保守、戦後民主主義、特亜三国等々、

そこで、こんな私を天皇主義者、皇室絶対主義などと言う方もおられますが、全く違うと思っています。

今年、NHKで篤姫なる番組を放映しています。
20%以上の視聴率だとか。

彼の放送局がいかに、史実を曲げて伝えようとしても、歴史は変えられません。

西郷もいたし、高杉もいたし、竜馬もいたし、勝もいたんです。
彼らも時代の要請で現れたと言うことはそうかもしれません。
でも、彼らを世に出したのは日本の歴史そのものだと確信しています。

西郷の懐に大切に収められたものが、証明していると思うのです。

ありがとうございました。
sakamoto
投稿日時: 2008-9-15 1:10
登録日: 2006-3-19
居住地:
投稿: 2540
No.139102:Re:「歴史の真髄」は表象的史実にあり(参)

鏑矢翁さん

こんばんは

>私も、貴兄の書き込みには賛同するところが多々あります。<

※やはり私が睨んだ通り、鏑矢翁さんのギャグセンス・・・じゃなくって、物事の価値判断能力は只者のそれではありませんな(内心は私の発言に対する河内屋蒼湖堂さんの反応が少しだけ怖いですが)。

>ご承知のように、私は今現在ネットで、当たり前のように使われている言葉に疑問を持っている者です。保守、戦後民主主義、特亜三国等々、<

※そういえば、「保守とは何ぞや」について解り易く講釈するなどと偉そうに言っておきながらそれっきりで申し訳ありません。簡単に言ってしまえば保守とは物事に対する考え方や感じ方の基準をどこに依拠するのかと問われたならば、「歴史によって過去から今日に運ばれてきた伝統の知恵である」とあっさり答えられるかどうかという事でしょう。その伝統には「持続」という確かな「正当性の証拠」があるのですから。その他は枝葉末節のことなんじゃないですかね。

「戦後民主主義」という言葉も非常に多義的な意味を持つ言葉でしょうから、「これだ」という定義は難しいでしょうが、戦前と戦後における「民意」というものがどこから来るのかの違いを探ってみた場合、戦前は親なり、教師なり、地域の慣習なりから継承された「実際知」からであって、戦後の民意を形成するのはマス・デモクラシーに代表されるようにマスコミ(今や第一の権力の座にある)の流布するデマゴギーであり、それによって形成される「世論」、そしてその世論を真に受ける「大衆」が作り上げる「国家を否定し個人から出発する」といった上辺だけの「気分」に支配された民主主義を「戦後民主主義」と呼ぶと私は解釈しています。まだ途中ですが、今夜はこの辺で失礼いたします。
河内屋蒼湖堂
投稿日時: 2008-9-18 16:10
登録日: 2005-8-5
居住地:
投稿: 2617
No.139412:父祖の遺せしもの、そは物語・・・・
sakamotoさん

こんばんは

何處が頭やら尻尾やら解らぬ駄文に、早々のご返信を有難うございました。


早めに仕事を了へ、十月の上映會の打ち合せで隣町のお寺さんに出向いてをりました。
櫻の視聽者の方ともお會ひ出來て有意義なひとときではありましたが、なにしろお腹が減るわ、ビールが飮みたくなるわ・・・
歸るなり一氣に流し込んで、やうやく人心地ついたところです。


『歴史とは即ち物語・・・我が皇室とは物語そのもの』
貴兄のこのお説には諸手を擧げて贊意を表します。

付け加へるなら
『皇室の物語は、名も無き我らが父祖が、畏き方々と倶に作りしもの』
でせうか。

History・・・Story・・・
ほら、歴史つて物語です。
紅毛碧眼の夷狄だつてさうなんです。
當然ですよ。

維新回天の業、日清、日露、大東亞
どれもホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』にも優る一大敍事詩であると。


生意氣な言ひ種ですが、
私が書物(や掲示板の投稿や人間)を讀む時の唯一の物差しは「歴史と先人に對する無條件の畏れ、敬意、感謝」があるかどうかだけです。

Navyのことであらうと、陸式(鳥光さん、許されよ)のことであらうとそれは同じです。

そして『無條件の畏れ、敬意、感謝』の次に來るのが『愛情』だと思ふのです。

色々と惡口や不遜なことを云つても、此の四つさへ基底にあれば、文章にも言葉にも自然に滲み出て來るものです。
ええ、忍ぶれど色に出にけり・・・・つて奴ですよ。

それが缺片も見えないのが半藤某、保坂某の著書です。

「寢て食ふだけ、生涯それしか仕事がないとなつたら、人間とは一體何だ、畜生とどこが違ふ。一身の面目にかかはるとなれば、たとへ藁しべ一本のためにも、あへて武器をとつて立つてこそ、眞に立派と云へよう」
(福田恆存:譯)

彼ら(とその著書を有難がる輩)には一生涯掛かつても、此の科白の意味は理解出來ないと思ひます。


戦後日本よりは、良かれ悪しかれ自国民の「共有する感情」(歴史観にせよ、政治の方向性にせよ)、が一つにかつ強力に「ファッショ」(束ねる)されているプーチンロシアや、金体制の北朝鮮のほうが、例えそれが民衆に対する過剰な規制にみるような独裁体制であったとしても、それらを除き後に残ったごく一部の良質な部分に限って言うなら、わが日本よりはるかにまともなのではないかと私などは心密かに思ってしまうのです。

大目玉だなんてとんでもない
センテンスがやたらと長いこと以外は、全面的に同意します(笑)。
これが對面で飮んでゐる時なら、貴兄の杯に酒を注いで「乾杯!」と叫ぶところです。


つまりは、彼らの方が「平成の御世の日本の民」よりは(數等マシで)眞つ當な國民の意識を持つてゐる、といふ事ですね。

此方にも若干名いらつしやる”嫌韓・嫌中廚房”(2チャン用語)に申上げたいのは、「ご先祖の威光を笠に着て威張るんぢやない。偉いのは飽くまでご先祖であつて、今の日本人ぢや無い。」です。

『我らは氣高くも英邁で勇敢な民の末裔である。』
は私の十八番でして、これをずゐぶん揶揄されはしましたが、修正したり取り下げる積りは毫もありません。

然し、自らさう叫びながら、何ともいへぬ申し譯の無さ、口惜しさ、情けなさ、自らの腑甲斐なさを痛感して仕舞ひます。

大切な遺産の利子で安閑と暮すだけでは飽き足らず、その元本さへ食ひ潰してきた數十年・・・

我が子の世代には間に合はずとも、せめて孫の代には中興の兆しを見たい、ただそれだけなんですけれど。


日暮れて道遠し

呑ん兵衞の囈言でした。



初回投稿日時:2008-9-17/23:36

脱字修正:2008-9-18/16:11

河内屋蒼湖堂
投稿日時: 2008-9-18 18:25
登録日: 2005-8-5
居住地:
投稿: 2617
No.139468:言葉、言葉、言葉


鏑矢翁さん

こんばんは

こちらでも宜しくお願ひします。

>>私は今現在ネットで、当たり前のように使われている言葉に疑問を持っている者です。

>>保守、戦後民主主義、特亜三国等々

貴兄の文章を一讀、ドキリとしました。

最初の一つはよく目にしますが、自身が使ふことは滅多にありません。
と申しますか、なにかしら心の隅から聞えてくるものがあつて、私には容易に「使へない」語句です。

二つ目はたまに使ひますし、嚴密な定義はともかくとして一應世間でも認知された言葉であると思ひます。

問題は三つ目の特亞三國・・・・この言葉も滅多に使はないのですが、此のスレッドで使ひました。ご存知かとは思ひますが、支那、韓國、北朝鮮を指す『ネット用語』です。

ドキリとしたのは、貴兄のご指摘にこの一語が入つてゐたからです。

いけませんね、
假名遣ひや正字に拘泥しつつも、肝腎の「國語」に對する畏れをいつの間にかおろそかにしてゐました。

實は以前に「テレビ掲示板」でも同じ失敗をしてゐます。
番組中につい何氣なく”2チャン用語”を使つてしまひ、視聽者の方からご指摘をお受けしたことがありました。
確かに、五十面のおつさんが2チャン用語は宜しくありませんね。


小林秀雄にせよ、福田恆存にせよ、先づ學ぶべきは國語に對する姿勢、表現と言葉の緻密さ、嚴格さであると改めて思ひ知りました。


氣付きの機會を與へて戴き有難うございました。
やはり鋭い!
投稿日時: 2009-8-7 13:35
No.164354:Re:真正保守の為の「小林秀雄」講座
sakamotoさん(らしき)のBBS発見



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